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押井守のAVG論

「物語」ってのはそれ自身の内在的な<動機>に導かれて発端から終幕へ自律的に展開する(もしくはそう見える)ことが身上なのであって、登場人物はそれぞれの意志と固有性を持ちながら、しかし実は作者の恣意に操られる主体的存在でなければならない。その意味で主体の恣意的な参加を前提とするゲームの構造とは本質的に相いれない構造を持っている。
「定められたレールの上を走らされている」感覚はゲームにとって致命的であり、しかも自由奔放な主体の行動は、終わることが最大の目的である物語の構造に抵触する。――この二律背反は「バランスが良い-悪い」の次元で解決できる問題ではなく、よしんば解決できたように見えたにせよ、そこに実現されたものは原理的にいって本来の「物語」や「ゲーム」に遠く及ばぬヌエ的な作品足らざるを得ない。それ以下の「物語」や「ゲーム」が横行しているという相対的な状況は敢えてここでは問わないが、この辺の事情は物語の構造により深く関わらざるを得なかったAVGが、いちはやくドツボにはまり込んだ事実を見れば明らかだし、RPGが一見この過程から(取り敢えず)自由であるかのように見えるのは、ただ単に「物語」からもっとも無難な(明確な方向性を持たぬ)「状況設定=世界観」を拝借している段階にある留まっているからに過ぎない。ゲーム内の物語性の緻密化が進めば、いずれ難問として発現することは間違いない。

押井守著『注文の多い傭兵たち』(メディアワークス)
初出:「月間コンプティーク」1990年12月号



 ここでいう「内在的な<動機>」とは、物語の主人公がその物語の中で何かを行う動機です。たとえば、魔王を討伐するとか、財宝を手に入れるとか、そういうことです。
 物語において作者は、計算ずくで物語を起承転結という枠組みの中に落とし込んでいきます。したがって、よくできた物語ほど、それ以外の展開がありえないということになります。
 これに対し、ゲームの本質はインタラクティブ性にあるとされますが、物語の完成度とインタラクティブ性は両立が困難であるというのが、この論の要旨です。
 インタラクティブ性とは、双方向性のことですが、これはアクションゲームにおいて特徴的ですが、プレイヤーが方向のキーの右を押せばゲーム内のキャラクターが右に動き、左を押せば左に動くということです。したがって、プレイヤーが主人公を操ることがインタラクティブ性であると考えれば、これは自由度という言葉に置き換えてもいいでしょう。
 AVG(アドベンチャーゲーム)においてプレイヤーの自由度を高めるには、選択肢を無数に増やしていかなければなりません。しかしそうすると、各ルートにおける物語の完成度は低くならざるを得ません。ここにジレンマがあるというわけです。
 では、どうすればいいのか? 押井守は正直に「分からない」と答えています。
 思うに、メディアの大容量化が進み、テキストに関してはほとんど無尽蔵に入れられるようになったわけですが、それでライターがレトリックに凝った結果、ゲームの本質であるインタラクティブ性・自由度がなおざりになっているわけです。ならば、レトリックを捨てるべきではないのでしょうか?
そのようなゲームとしては、イリュージョンの『人口少女2』などがあるわけですが、それはAVGの進化の一つの方向性です。
 他に、昔のコマンドを選んでいく方式のAVGへ回帰するという方向性もあるかと思います。ただこの方式は面倒くさいため廃れたものです。手間を軽減しつつ、かつプレイヤーの自由度を高めていく道が模索されるべきだと思います。
 しかし、必ずしもそれほどルートは多くなくてもいいと思います。自由度は高いように見えればいいのです。たとえば、RPGの場合、シナリオは一本道であっても、プレイヤーは自分で主人公を操作するので自律的に行動しているように思えるのです。

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オタク論2 オタクの定義

 オタクという言葉は人によってさまざまな意味に用いられます。いろいろ異論はあるかと思いますが、私なりにまとめてみました。

○最広義のオタク
 あらゆる事柄についてのマニア。

○広義のオタク
 アニメ、テレビゲーム、マンガなどのマニア

○狭義のオタク
 成人向けアニメ、ゲーム、マンガなどのマニア

○最狭義のオタク
 成人向けアニメ、ゲーム、マンガなどのマニアのマニアで、かつ容姿が醜く、口下手で社交性が低い者

※なお、オタクとは性格の類型であって、特にアニメ、ゲームなどのマニアであるかどうかは関係ないという説もある。この説によれば、オタクとは、ある特定の事柄に拘りが強く、他の事柄には無関心で社交性が低いような性格を意味する。このようにオタクを性格と考えた場合、英語ではNerdという言葉がそれに近いとされる。

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オタク論1 オタクの語源

 オタクの語源は「お宅」であると言われます。これは文字通りの意味では「あなたの家」という意味ですが、日常の会話ではやや婉曲な二人称として使われます。
 80年代のアニメファンは互いを「お宅」と呼び合うことが多かったので、オタク族と呼ばれるようになったと言われます。
 なぜ互いを「お宅」と呼び合うようになったのかは、あまりはっきり分かりません。一つの説として、当時流行していたアニメ『超時空要塞マクロス』で「お宅、そういう人?」というセリフがあり、それが流行したからだというものがあります(※)。

※最初うろ覚えでミンメイのセリフと書いていたのですが、後から調べなおすと一条輝のセリフだったようです。

 「オタク」という言葉が最初にマスコミに取り上げられたのは、1983年でした。それは中森明夫という芸能ライターがコミケを訪れてその体験記を書いたというものでした。その内容は、おそらくアニメは子供の見るものという先入観から、オタクを幼稚で流行に遅れたやつらと悪意的に中傷するものでした。
 その当時、オタクという言葉はそれほど広まらなかったようです。しかし、1989年に宮崎勤事件が起こり、オタクという言葉は日本中に広まりました。
 宮崎勤は3歳から7歳の少女4人を殺害して猥褻な行為を行いました。彼の容姿は太っていて、髪が長く眼鏡をかけているというものでした。そして、彼はアニメや特撮のコレクターで5000本以上のビデオテープを所有していました。
 この膨大なコレクションは世間の大きな関心を呼び、オタクという言葉は宮崎勤その人を形容する言葉として有名になったわけです。

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アドベンチャーゲームの変遷

俺的に勝手に分類しています。

(1)コマンド入力型
 コマンドを直接手入力する最古の形式。「シラベル ツクエ」などとキーボードで入力する。
 一見あらゆる行動が可能のようだが、所詮はゲームなので、あらかじめプログラムされた行動しかできない。

(2)コマンド一覧型
 移動、見る、話す、取るなど、可能な行動が一覧的に表示されており、プレイヤーはそこから行動を選ぶもの。
 コマンド入力型の簡略化である。
 これも自由度が高そうに見えて、実は正しい行動は一つしかない。取りうる行為が複数あり、シナリオが分岐する場合もあるが。

(3)コマンド選択型
 その場で必要な2、3の選択肢が表示され、そこから行動を選ぶもの。
 コマンド一覧型をさらに簡略化したものである。

(4)ビジュアルノベル型
 小説のように進行し、要所要所で分岐があるタイプ。ゲームブックに近い。


 ビジュアルノベルはさくさく進んでプレイヤーも楽であり、作者も楽であるが、うまくやらないとプレイヤーが受身になってしまい、小説を読んでいるのと変わらなくなる。単にすべてのルートを埋めるという作業にならないような、展開の工夫が必要だろう。
 元々アドベンチャーゲームは推理モノとして発展してきたから、推理要素を入れるとゲーム性が高まると思われる。男主人公の場合、女の子を攻略するというよりは、女の子が何かの事件に巻き込まれていて、共同して一つの事件を解決していくという展開が王道なんではないだろうか。
 コマンド入力型、コマンド一覧型は言うまでもなく、コマンド選択型であっても、けっこう面倒である。しかし、ある程度プレイヤーに作業させた方が感情移入が深まるということもあり、ノベル形式を主としながらも、ところどころコマンド選択型を組み合わせるのも一つの手だろう。たとえば、『脅迫1』はそのような形式になっている。 

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電脳紙芝居とならないために

 最近のエロゲはゲーム性に欠け、電脳紙芝居と揶揄されたりします。
 ゲーム性とは何でしょうか? 単にゲーム性といえば、パズルゲームでクリアするとご褒美的にエッチなイラストが出てくるようなゲームでもゲーム性があるということになります。しかし、エロゲ的には、やはりエロとシステムが合致してこそ、ゲーム性があると言いたいものです。
 ゲーム性とは何かを定義することは、困難なことでしょう。ゲーム性における重要な要素の一つにインタラクティブ(双方向)性がありますが、ここではインタラクティブ性を中心に論じたいと思います。
 最近のゲームはサウンド・ノベルあるいはビジュアル・ノベル、略してノベルゲーという形式が主流になっています。これは極端に言えば小説に絵、音声、効果音BGMをつけたものです。分岐が多ければまだゲームという感じがしますが、分岐がほとんどないものも多く、そういうものはまさに電脳紙芝居です。
 黎明期のアドベンチャー・ゲームは手入力でコマンドを打ち込むものでした。たとえば「ミル ツクエ」(見る 机)などと入力することによってゲームを進めていったものです。
 しかし、それでは非常に煩雑であるため、徐々に簡略化されていきました。次の段階としては、使用できるコマンドが一覧的に表示され、そこから選択できるようになりました。その次の段階としては、その場で必要な2,3のコマンドだけに限られるようになりました。
 それと平行して、マルチエンド化という流れがありました。初期のアドベンチャー・ゲームでは、プレイヤーは常に用意されたコマンドのすべてが使用可能であり、一見して非常に自由度が高いように見えますが、しかし、正しい行動は常に一つであり、その実、一本道のシナリオしか用意されていなかったわけです。
 そうしてそういった流れの中からノベルゲーが生まれ、今日の主流になっているわけです。
 私としては、ノベルとゲームの差別化をはかるためには、インタラクティブ性の強化が必要であると思うわけですが、ノベルゲー以前のシステムの方がインタラクティブ性はありました。
 しかし、古いアドベンチャーゲームはなかなかストーリーが進まず、イライラするものです。また、製作者の側から考えた場合は、ストーリーが緻密かすればするほど、フラグ管理が非常に複雑化することになるでしょう。
 そう考えれば、分岐の多いノベルゲーが正常進化であるといえるのですが、下手なところが作ると電脳紙芝居になってしまうというのが現状でしょう。
 また、単に分岐が多ければいいというのではなく、プレイヤーが「自分の運命を選択しているのだ」と思えるような文章の工夫が必要でしょう。何回もやっていれば、単にすべてのルートを埋めるだけという気分になってくるでしょうが、少なくとも一回目はそう思えるようでなければなりません。
 そのためには、必ずしも選択によってシナリオが大きく変化する必要はありません。どの選択肢を選んでも、多少のテキストの違いはあっても、ストーリーの根幹は変化しなくてもいいのです。
 実際にゲームの中の自由度が高い必要はなく、プレイヤーにそう錯覚させることが重要なのです。プレイヤーは自由度が高いと思えば、自分は能動的に行動しているのだと思うようになります。そうしたちょっとした配慮で、電脳紙芝居というは印象はかなり変わってくると思います。

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